雀のしっぽ

記憶と想いの覚書き

履歴

確かにそこにはいました
ある期間、長くもなく短くもなく、

ここまでの半生振り返り、
なんて大したことない
なんとも虚しい、そんな気持ちが
拭っても眼を瞑っても、
心の底に降り積もって、掃き出しきれない

疑問にも危機感もなく
やりたいことに眼を向けて進んできたつもり
が、ただのつもり、だったかと
認めたくはなかったけど、
価値のない、そんな自分を見つめなくてはならなくなった

貨幣価値はないかもしれない

それ以外の価値も別段、見当たらない

なにもない自分を手放しで認めてくれる存在
それも、ただのつもり、なのかも

認められる、と言うことに疑問を感じて、
立ち止まらざるをえなかった

眠気

一人より何人もの温もりで
途端に襲ってくる
電車やバスで座った途端に襲ってくる
会議室で話を聞き始めた途端に襲ってくる
小説を開いて活字に集中し出した途端に
襲ってくる
寒い冬、お風呂に浸かった途端に襲ってくる
PCの前で他人のレポートを読み始めた途端に
襲ってくる

時間じゃないんだよ

緊張感を緩めるレバーが下がったときに
確実に襲ってくる

それが眠気

黄昏ての

17:17

黄昏てのバスは好きになれない
日が落ちきって終わっていくバスの方が
まだまし。

この時間帯の人たちは、
背中に誰かの思いを背負って見える
前方10人なら10人がそうだ

帰る
そこに不安定な安らぎが見える
誰かの造り出した風景におさまる姿が
物悲しい

停留所のチャイムが車内に響くと
現実が少しずつ起き上がってくる
車内はちっとも混んでいないのに
その空間が虚しさを更に増す。

到着すると分かっている場所は
朝から晩まで同じのはずなのに、
そこまでの道のりは
なぜか曲がったり、反ったりする。

私自身もまた、何通りかの選択の中から
わざわざこの時間帯のバスに乗ることを選ぶ
愁うことで現点を確認しているのかもしれない

そこに有り難さはあるのか

このお店でお昼を食べようと決めて足をとめる。
混雑の日曜日でもうまくすれば、
数分の待ちで席に通されることもある。

“お越しいただいて、有難うございます”

今まで、食堂であまり聞いたことのない
店員さんのご挨拶だな
しかも元気で早口ではあるけど、割りと丁寧かも

席についてお冷やを置きながらの慣れた発声。

悪き気分ではなかったのだが、
今の自分になぜか沁みない。

お客さんへの感謝の気持ちとサービス精神が
接客のポリシーへと繋がってる。
週末の繁忙な食堂の労働をあまり身近に感じたことがなかったけど、
自分だってそんな戦場に赴くことだって
これから先、あり得るはなしだ。

これまで、食事したいときに食事したい人と当たり前のように場を設けていたけど、
遠い気持ちで少し冷えかけた珈琲をすすりながら
食事をとる
もしも、この席に閉店まであと四時間居座り続けていたら、きっと、
有り難くないお客さんに変わっていくのだろうな

今の自分もそんな有り難くない何かに変わっていくのだろうか
もしくは有り難くない何かになっていはしないだろうか

カップから1滴の珈琲もなくなったので、もはや時間の問題だよな