雀のしっぽ

記憶と想いの覚書き

黄昏ての

17:17

黄昏てのバスは好きになれない
日が落ちきって終わっていくバスの方が
まだまし。

この時間帯の人たちは、
背中に誰かの思いを背負って見える
前方10人なら10人がそうだ

帰る
そこに不安定な安らぎが見える
誰かの造り出した風景におさまる姿が
物悲しい

停留所のチャイムが車内に響くと
現実が少しずつ起き上がってくる
車内はちっとも混んでいないのに
その空間が虚しさを更に増す。

到着すると分かっている場所は
朝から晩まで同じのはずなのに、
そこまでの道のりは
なぜか曲がったり、反ったりする。

私自身もまた、何通りかの選択の中から
わざわざこの時間帯のバスに乗ることを選ぶ
愁うことで現点を確認しているのかもしれない